虚構の女

生き辛さにもがいてる自分が愛おしい。慶應大学に通ってます。 

悔恨の舌打ち

朝8時代の山手線。

連日続いていた夏日から一転して今日は重い雨が降っていた。

 

車内もいつもより混み、人の重みと気候の重みに耐えていたが品川駅で更に多くの人が乗り込み苛立ちが沸点に達した。

 

次の駅で降りようとした。

 

が、なかなか降りれない。

私のカバンと修学旅行をしている男子中学生のリュックが引っかかっていたのだ。

ただでさえ天気が悪くてイライラしてるのに、、、私は咄嗟に舌打ちをしてしまった。

 

 

 

なんであんなことしてしまったのだろう。

大学に着いてからとんでもなく後悔の念が沸き起こってきた。

 

どこから来た中学生かわからないが、はるばる遠くから来てくれたのに。

修学旅行という前から楽しみにしていた一大イベント中に、今日のような重い雲を被せてしまったかもしれない。

そのまだ純朴そうな顔に向かって私は舌打ちをしてしまったのだ。

 

派手な髪色をしているわけでもなく、小綺麗な格好をしている一見優しそうな女の人が舌打ちをしてきた、東京怖い。

 

私が彼の東京に対するキラキラとしたイメージを悪くしてしまったかもしれない。

自身も地方出身で、高校時代誰よりも強く東京に憧れていたのに(前のブログで述べた)最悪だ。

 

もちろん今は東京の汚い部分、大人の醜い部分も知っている。

でも、地方に住んでる彼は未だそれは知らなくていいのだ。

自身も、高校時代スマホの待受を東京の夜景の画像にして、それは見て奮起させて受験勉強を頑張った。

 

キラキラした夜景は沢山のサラリーマンによる残業で形成される虚構であるし、東京にあるキラキラしたもの全てが虚構であるかもしれない。

 

 

でも、私は東京が好きだ。昔も今も。

東京でなければ知り合えなかった人とも沢山出会ったし、そこら中に自らに挑戦する場もある。

 

今日の中学生にどうしても伝えたい。

私も昔は舌打ちなどしたことなかったが、こっちへ来て欲に溺れ社会に疲れた今とても汚く醜くなってしまった。人間不信にもなった。

でも、こういう悪い人だけでなくそれ以上に良い人もいる。

だから東京に失望しないで欲しい、自分勝手ではあるけど。

その純朴な目の輝きを失ってしまうには未だ若すぎる。

 

ごめんなさい、ごめんなさい。

 

この思い、どうか彼に届きますように。

 

 

 

東京で生きる意味①

当時高校生の私はぼろぼろ泣いていた。

去りゆく丸の内の風景を後に。新幹線の中で泣いた。

 

とにかく泣いた。

 

私は地方で育った。水も空気も美味しく、温暖な気候だからか人も温かい。

そこでの時間はとても呑気に動いていた。

 

高校生のある日、私は家族と東京観光に行った。お上りさんよろしく、渋谷の人混みに目を輝かせ普段経験することのない満員電車の中ではもはや恍惚の表情を浮かべていた。

見かねた母親に

みっともないからキョロキョロしないで、と言われたのを記憶している。

 

なんやかんやで観光と買い物をし帰りの新幹線に乗ったが、窓から広がる丸の内の光景を前に目を見張ってしまった。

 

林立している超高層ビル、忙しく歩きまわるスーツの群衆

 

ここでは私のことなんて誰も気にしない。すでにこんなにもビルがあるのに更に建設工事をしている。

 

これは同じ日本なのだろうか? 驚くようなスピードで街や人が動いている。

正直ショックだった。今までの人生を無駄に過ごしてしまった気がして。なんて単調な毎日を送ってきてしまったのだろう。なんて呑気だったんだろう。

 

しかし、同時にどうしようもなく感動した。

これぞ世界の政治、経済、文化の中心地TOKYOなのだと。

New York   Paris  Londonと肩を並べる世界都市の姿は輝いていた。それを前にして田舎の女子高生はあまりにも無力だった。

 

涙が溢れる。鼻筋を通り、遂に口に到達した。

このしょっぱさは、無力感、虚無感、悔しさの味がした。

 

そして誓った。

またこの街に戻って戦ってやるんだ、と。

 

こうして私は東京の大学を目指すに至ったのだった。

 

肉体関係はありません

’肉体関係はありません’

 

この言葉何回聞いただろうか。去年頃から芸能界を賑わしていた不倫スクープ。正直、良い年した男女が密室で一夜を過ごし何もなかったなんてことあるのか!!!という感じである。しかし

 

 

私には、あった。

今日はその話を少し。

 

彼は26歳の関西人(Aさんと呼ぼう)であった。世間のイメージする関西人と異なりおっとりした人である。Aさんは関西に住んでるがたまに東京に来て私と会って食事したりする仲だ。そんな彼と、去年1週間のイタリア旅行に行った。

 

まず、前提として私はAさんに恋愛感情は一切ない。恐らく相手もないだろう。

しかしだ。成人の男女2人が旅行するわけだからそういう成り行きになる可能性は十二分にあるはずだ。ありがたいことに旅費も宿泊費も全額払ってくれるのだ(一般会社員(26)にしてはかなりの出費だっただろう)

それなりの覚悟と勝負下着を持って旅行に臨んだ。

 

ところが、その勝負下着はお披露目することなく7日間が終わってしまったのだ。

もちろん交際してるわけではないから不必要に彼氏でもない人とセックスはしたくない。これで良かったのだ。

 

いや、Aさん。あなたはこれで良かったのか?????

 

どこかで男は女の8割とヤることができるなんて聞いたことがある。個人的に、自分の容姿には特にコンプレックスはない(胸が少々貧相なのは除く)

それなりにモテる。色白であるし、セクシーな脚をしていると割とお褒めの言葉をいただく。どう考えても自分はセックス対象にならない2割の方には入らないはずなのだ。

 

しかも、さらに驚きなのは4日をダブルベッドのホテルで過ごしたのにキスはおろか手も繋がず一切の身体接触がなかったことだ。

 

Aさんあなたは神様仏様なんですか? 普通に熟睡してたし煩悩というものがないのだろうか。

成人済みの男女2人がダブルベッドで何もせず、寝具としての用途を完璧に果たした。

何というシュールな光景だろうか。

 

男女の友情は成立しないなどいうが、これこそ本当の友情である。

まだ’セックス’というものを知らず純粋だった小学生の頃の友情と変わらない。

 

Aさんが一人でフィレンツェを散策してる間、私はホテルに残った。

人間には性欲がある、言うまでもないが女性にも。私は一人ベッドの中で、自分を労った。フィレンツェという歴史が深く刻まれた芸術の街の中で一人そんなことしてる自分に対する背徳感と興奮であっさりと昇天してしまった。

 

 

 

今年はそんなAさんとチェコオーストリアに行く計画を立てています。

 

 

若いということ

それなりに頭が良くて、それなりに容姿も端麗で、それなりにスタイルが良い。

 

私は都内の女子大生である。自分で言うのもあれだが、結構モテると思ってる。1対1で30分ほど話をしたら9割の男性は好意を持ってくれるだろう。いや、実際そうなのだ。

 

これ、と言った突出したものはないけれど、特別劣ってる点もない。

つまり私は総合力の女なのだ。バランスタイプ。

 

しかし、意地悪なおばさまは言うだろう。

「30を過ぎたら男性は面白いくらい誘ってくれなくなるよ。いくら若いころちやほやされてた美人でも。」

資生堂のCMで”25歳からは女の子じゃない”というキャッチフレーズがあったが批判の対象になった。

 

今の自分の”モテ”は虚構のものなのだろうか。ただ若い、それだけでちやほやされているのだろうか。

毎食ディナーはいくらでも男性がおごってくれる、月の半分は客単価1万円以上の料理を食べてるだろう、国内、海外旅行だって自分のお金でしたことないし欲しいものは頼めば買ってくれる。

どれもこれも身分証明書に印字されている年齢の数が小さいってだけで享受したにすぎないのか。

 

認めなければいけない事実、しかし認めたくない。今までの自分が全否定されるようではないか。

だから私は歳をとるのが怖い。

 

あまりにもただ若いってだけで恩恵を受けることが多すぎる。特にこの国は。

昔は無邪気に100歳まで生きたい!なんて言ってたが、とてもじゃないけど今は言えない。

老いが怖い。それは見た目の劣化の問題ではなく、社会の扱いが、老いた自分を見る社会の目が。

 

生きたくても生きれない人間がこの世にはいる。

しかし、不謹慎ながら若くて綺麗なうちにぽっくり愛されながら死んでしまうのもありだと思う今日この頃であった。